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Feature

INTERVIEW WITH
YOSHITAKA AMANO

数々のキャラクターデザインを手がけてきた天野喜孝さんに
東京のアトリエでインタビューしました

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「みなしごハッチ」「ヤッターマン」「ファイナルファンタジー」など

数々のキャラクターデザインを手がけてきた天野喜孝さんに東京のアトリエでインタビューしました。

 

 

東京、麻布。

閑静な住宅街の一角に、一際目をひく無機質でスタイリッシュな佇まいのアトリエ。
恐る恐るインターホンを鳴らし、自動ドアが開くと同時に現れる長いスロープ。
その先には天野喜孝氏の世界が広がっていました。

天野さんにお会いするのは、これが初めて。
どんなテンションでお話をお伺いしようかと、いつもより少しピリッとした空気感で話し始めましたが、
柔らかな口調と優しい声のトーンに一気に緊張がほぐれ、
無機質な空間からは想像できない、和やかな空気に包まれました。

 

 

「血がそうさせた。と思うくらいに自然に絵を描くことが好きだった」

 

 

- そもそも、天野さんがイラストレーションに目覚めたきっかけはなんだったのでしょうか?

 

天野:兄貴が絵を描くのが好きだった影響もあるのかもしれないけど、とにかく子供の頃は絵を描くことが好きだったね。
父が絵描きを夢見た漆塗りの職人だったからなのか
「自分が絵を描くことを好きか、嫌いか」
とういうよりも、元々そういう血が入っていたのかもしれない。

そのくらい絵を描きたいと思うことが自然だった。

 

「友達との約束を断ってでも絵を描く時間を作っていた少年時代」

 

 

- 天野さんが絵を描き始めた子供の頃、どんな少年だったんですか?

 

天野:放課後は大体友達と遊びに行くんだけど「今日は絵が描きたいな」と思うと、
友達の約束を断っても絵を描いていたよ。
「遊ぶ時間」と「絵を描く時間」はちゃんと分けたかった。
一人で絵を描く時間が必要だったんだ。

 

 

 

「15歳で静岡から上京。作品を持ってタツノコプロの門を叩く」

 

 

- 15歳で上京されたということですが、それって当時は普通のことだったんですか?

 

天野:いや、普通ではないね。東京に兄貴がいたっていうのもあるんだけど。
東京の友達の家に泊まりに行った時に、近くにアニメーション会社があったんだよ。
そこを見学させてもらった時に、自分が描いた絵を持って行ったら、後から採用通知が送られてきて。
それで東京に来ることになった。

タツノコプロでは「みつばちハッチ」や「ガッチャマン」「ヤッターマン」などのタイムボカンシリーズの
キャラクターデザインを手がけたんだけど一番伸びたのは・・身長かな(笑)
在職中に20cm背が伸びたから。

 

「アイデアは自分の中に内包されている」

 

 

- 数多くのキャラクターデザインや作品を生み出し続ける天野氏。
アイデアの源は?と聞くと意外な答えが返ってきました

天野:キャラクターデザインをする時は、何か資料を見たり集めたりすることはしないよ。
既にキャラクターが自分の中にいるんだよ。そのキャラクターに衣装やアクセサリーをデザインして纏わせる。

街を歩いていると、色んな人がいるでしょう。
ほら、今だとヘアースタイルはあなたのような短めの女性が多くいる。
それで世の中のトレンドはこういう感じなんだなって感じて、
それが自然と絵に現れたりするのかもしれないね。

 

 

 

「子供向けに描いたわけではない作品が絵本に」

 

 

- キャラクターデザイン以外にも、絵本の挿絵を多く手がけていらっしゃると思うんですが、
何か絵本を通して伝えたい思いがあってのことなのでしょうか?

 

天野 : 実は絵本のために描いた絵っていうのはないんだよ。
たまたま描いた絵が、絵本の内容にぴったりだからと使われることはあるんだけど。
読み手が子供だからといって、合わせることはないよ。

いつも全力で描いているから。

「SNSでシェアされバズったシンデレラ」

 

- だいぶ昔に挿絵を手がけられて絶盤だった絵本「シンデレラ」が最近また復刊されたと聞きました。
面白いエピソードがあるとか?

 

天野 : 以前出版されたシンデレラの絵本が、たまたま病院の待合室に置いてあったらしくて。
診察を待っている子供がぐずったので、親御さんが絵本を読んであげようと
たまたまそのシンデレラの本を手に取ったんだって。

「子供がぐずったのでシンデレラの絵本を読んであげようと思ったのに。。天野喜孝画じゃん!全然和まないし!笑」

っていう内容をtwitterでつぶやいたママのツイートがどんどんリツートされて・・・
バズったんだよね(笑)
それで復刻することになったんだよ。

 

「3人の子供たちも全員画家に」

 

 

- 天野さんの3人のお子様は全員画家だと伺いました。
まさに芸術一家ですね!
何か特別な教育をされたんでしょうか?

 

天野 : 全く何もしてない!
むしろなるべく画家にはなってほしくなってないとさえ思っていたんだよ。
だから絵を教えたり、意識して触れさせたということはないんだけど。

ただ、家中に画集があったから、そういうのを勝手に見て興味は持ったのかもしれない。

あとは、僕が絵を描いている後ろ姿をいつも見ていたんだろうね。
銀行に就職した親戚がいるんだけど、子供達は
「銀行でも大人は皆んな絵を描いている」
と思っていたんだって。笑
そのくらい、子供達にとって「絵を描く」ということが日常で、当たり前のことだったのかもしれないね。

 

 

 

「今後の展望は自らの発信」

 

 

 

- 天野さんが今後新たに挑戦していきたいことはありますか?
海外での個展も増えているようですが。

 

天野 : 海外での個展はこれからも世界規模で展開していきたい。
この間はNYで個展を開いたんだけど、やっぱりNYはすごいね。
日本と全然違う。

- NYはエネルギーが凄いってみんな言いますもんね。私もそう思います。

天野 : なんていうか、皆んな全力で仕事している感じ。必死なんだよ。
NYは頑張ってないとダメなんだよ。

制作に関しては、今まではクライアントワークが多かったけど、これからはもっと
自分が発信したいものを作っていきたい。
これは15歳で上京した時からそうなのだけど、作品を出すときに不安て全くないんだよね。
自分の絵がどう評価されるのか興味がある。挑戦したい気持ちの方が強い。

 

 

「好きなことを一生続けられたら、そんな幸せなことはない」

 

 

- 最後に、子供達やそのパパママに伝えたいことはありますか?

天野:子供が夢中になることをどんどんやらせたらいい。
好きなことを一生続けられたら、そんな楽しいことはないよ。

苦手なことをやるのも大事だけど、子供が好きなものを大事にしてあげて。

 

穏やかな口調、優しい声のトーンと、年齢を感じさせない、まるで少年のような作品にかける強さと真っ直ぐさ。
それは天野さんの描く、強さと繊細さ、優美さが感じられるイラストレーションそのままのようです。
「好きなことを、とことん追求し続けること」
天野さんにお会いして、その大切さを改めて痛感しました。

 

 

 

 

 

 

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