今朝、高田賢三さんの悲しいニュースを見て、
「小さい頃、KENZOばかり着て育ったな・・・」
と非常に残念な気持ちと、幼かった頃のことを思い出した。
私が今この仕事をしているのは、
母の影響が200%。
幼い頃から働く母親しか見たことがなく、
お弁当を作ってもらった記憶も、
保護者会に参加したことも恐らくなくて、
普通のお母さん像がわからないで育った。
その代わり、
物心つく前から商談に同行したり、
工場さんへ行ったり、
母の仕事が特殊だったので、よく親子や兄弟で撮影に呼ばれて
訳も分からず雑誌に載せてもらったりしていた。
それでも、当時の私は母が何の仕事をやっているかよく分かっていなくて、
そしてあまり興味もなく。
高校生になり、将来を考え始めた時に
「アパレルだけは、母の会社だけは絶対に嫌!」
と思っていたはずなのに。
その後、ごくごく自然にアパレル業界に惹かれ、
母の会社をサポートするようになり、
今はそれぞれ別の会社を持ち、
たまに一緒に仕事したりしている。
私を産んで、着せたい服がないからとPATACHOU(パタシュー)
というベビー・子供服ブランドをスタートしたのが私が3歳の頃時。
そこから35年間。
ブレずに未だに現役を貫く母も信じられないことに、今年70歳!
お互いにずいぶんと歳をとったなと。
この写真は一緒に仕事した最新のPATACHOUのビジュアル。
母が作って、私が広げ伝える。
なんだかんだで15年くらい、親子とは違った距離感でやっています。
「自分で(会社)やってみなさいよ。そうしたら分かるから。」
母の会社を手伝っている時に、何度も言われたセリフ。
会社を設立して3年目に入って、いかに続けていくことが難しいことなのか
とてもよく分かった。
単純に売り上げとか、そういうことだけじゃなくて、
特に女性は難しい問題にたくさん直面すると思う。
(母は仕事しながら4人出産したけど)
すごいよ35年は・・・。