- 子供が服から受ける影響はとても大きいと思うんですよ。
理香
—PATACHOU(パタシュー)が再始動とのこと、おめでとうございます。
長年のファンとしてもうれしい。まずはリスタートの経緯を教えてください。
石川理香(以下 R)
この3年は、別の会社とブランドのライセンス契約をしていました。
契約満了で戻ってくることなって、ブランドを続けるかやめるかどっちかしかないって感じだったんですよ。
でも私から仕事を取ったら何もないので「やるしかないじゃない」と。
とはいえ昔とは色々なものが変わってきているので…
例えば宣伝も雑誌媒体だったのが今はネットですし。
うちはもともとあんまりそういうのに強い会社じゃなかったので、難しいと思うところもあったけれど、
周りと同じやり方をする必要はない。
周りに全部を揃えなくてはいけない。
っていう考え方はちょっと違うのかなと思い直しました。
再スタートは一人で切ったので、本当に小さい、コレクションと呼べないようなものでした。
だからこの秋冬からが本格再始動という感じです。
石川明日香(以下A)
子供服が難しいのは、お客様がずっと同じじゃないところ。
常に新しいファンを増やしていかなきゃいけないんだけれど、
3年も経つと客層が変わってしまうんだよね。
R
そう。
中には「知ってました」って言ってくれる人もいるんですけど、
今の世代のお母さん達はほとんどがブランドを知ってくれていない。
そこからのスタートなので、どうやって広めていくかというところで悩みました。
ラインを全て変えることもできないわけじゃないんですけども、
やっぱりPATACHOUの最初からのコンセプト“普段着をもっとオシャレに”っていうのは変えたくなかった。
子供が服から受ける影響はとても大きいと思うんですよ。
そうやって育んだ美意識は、将来きっと役に立つだろうと思うので、コンセプトは変えずに、
ただ今の時流はわりと意識して作っています。
—そのコンセプトはいつから?
A
会社(アイ・デザイン・スタジオ)がスタートしたのが1985年。
ブランド(PATACHOU)は1991年からなんだけど…
R
最初はね、子供用のランジェリーを作ってたんです。
それこそ明日香さんがキッカケで。
彼女のオムツが取れて、
「さあこれで可愛いものを着せられる!」
と思って買い物に行ったら、本当に全く全然なさすぎて、あまりにショックだったんです。
その頃はインポートなんてあんまりないし、探せても高価で。
「だったら自分で作りたいもの作ろう!」と。
生地もオリジナルで細いボーダーを使ったり。
男の子のアイテムも作ったんですよ。
無地やちょっとひねった色で。
それがパジャマに、ガウンにとコレクションがだんだん広がっていったわけです。
その頃、セサミで編集長をされていた堀田さんとね、
ときどきお話させていただいていて。
ある時、「こんなのやりたい!」と、簡単な絵型を見せにいったら
「こういうアイテムは日本でどこもやってないし、絶対にあったらいいから、やったほうがいい!協力するわ」
って言ってくださって。
A:
堀田瑞枝さんは業界では人知らない人がいないような方。
レオンにいらした岸田さんでさえ
「子供服といえば堀田さんだよね」
とおっしゃるような。
R:
日本以外の国のキッズファッション事情にも詳しい方よ。
海外に行って撮影する時に、
「向こうの子はすごく綺麗な下着を着ている子が多いのに、日本はそうじゃない」
って嘆いてました。
それで伊勢丹のバイヤーを紹介して頂いて、そしたらトントン拍子に
伊勢丹新宿店の中にコーナーを作ってもらえることになりました。
「下着コーナではなくて、ウェアのところでしか売りたくない」
って言ったら、ウェアの中にそこそこ広い売り場を作ってもらえて、そこそこ高い下着が売れたんです。
生地から全面に刺繍を入れちゃうような、凝ったオリジナルのアイテムが。
それを見ていた伊勢丹の人たちに
「外にも着て行けて、家の中でも着せられる。そういうアイテムを作らないか」
って言われました。
当時の絵型。PATACHOUの絵型は今でもデザイナー石川理香のハンドライティングによって描かれてる。
まだ当時は肌着かお出かけ着かといった感じで、しかもピンク、ブルー、イエロー、クリーム色の世界だったから。
他のベビーでは使ったことがないような色や素材でお洋服を作ったら
「ベビーでこんな素材使うのね」
っていうのをまずびっくりされて、非常に好評だったんです。
そこで自信がついて、自分のブランドを立ち上げることにしました。
幼稚園も保育園も
ちょっと洒落たお洋服を着せて登園させるとね、
「あまり綺麗すぎない、汚れてもいいお洋服を着せてください」
と言うんですよ。
でもそれがどうしても嫌だった。
服なんか汚すものなんです、子供は。
だから、うちのブランドは「汚れてもいいじゃない」っていう意識で着て欲しいと思ってたんですよね。
それでも着てもらえる服、着てもらいたい服。
そういう感じが強かったかな。
それで”普段着をもっとオシャレに”というコンセプトが生まれました。
- 納品は母に行ってもらうこともありました。
風呂敷に商品を包んで(笑)
理香
—仕事に子育てにお忙しかったんじゃないですか。
最初は自宅の一室ではじめたので、ランジェリーの時は在庫の段ボールを廊下に並べて、
納品は母に行ってもらうこともありました。
風呂敷に商品を包んで(笑)。
それから工業用ミシンを6台も買って、ノウハウがある人に家まで来てもらって縫ってもらって。
自宅が工場も兼ねてたんですよ。
休みの日には、あなたを連れてよく販売にも行ってたんだけど、覚えてない?
よく什器の横でしゃがんでたのよ。
まだのんびりしていた時代だったから、
「こんなところに子供をずっと置いておくのは可哀想、あとは私たちが見るから帰りなさい」
って売り場の方に言われて、「じゃあ」って帰ったり(笑)
4つとか5つの頃には商談に連れて行ったこともあるわ。
ノートとお絵かき帳を持たせて、
「ママは商談するから、あなたはこっちで絵を描いてなさい」
みたいな。
そういう場は嫌いじゃなかったようなので。
私がどういうことをしている人かをわかってもらおうという趣旨もあったと思います。
A:
でも実は、高校生ぐらいになってちゃんと仕事を手伝うようになるまでは、
理香さんが何をやっているのかあまりわかっていなかったと思う、私。(笑)
初めて手伝ったのは、高校、いや中学3年生ぐらいの時?
池袋西武の催事で、いきなり一人で売り場に立たされたんだよね。
それが一番最初かな?
R:
その前にあるのよ、小学生の時。
その時にお客様が
「ちょっとこれは違う」って言うと「こういうのもありますよ」
って奥から別のを出してきて勧めているのをみてビックリしました。
「こういうのはどうでしょう?」ってやるんですよ。楽しそうに。
A:
でも本当、今思い出したぐらいで。
母の仕事を意識したことが全くなくて、
自分の母親が何をやってるかも正直あんまりわかってませんでした。
R:
子供服にはあんまり興味がなかったわね。
A:
そうかも、みんなと同じものを着たかったし、
みんなと同じものが欲しいという気持ちの方が強かった。
どっちかっていうと、
周りからどう見られるかとか、周りがどうなのかとか、
結構周りを気にするように育ちましたね。
調和みたいなものの方を意識してしまうというか。
- ランドセルを買ってもらえなかったから。普段の服装に合わないからって。
明日香
—子育てで意識されたことは?
R
公共の場での立ち振る舞いですね。そういうところかな。
あ、あと、子供達に「葉っぱを食べて味を覚えなさい」っていうのは言った。幼稚園の時に。
—なんの葉っぱですか?
R:
幼稚園に木が生えていてね
—生えてる木!!(笑)
R:
「どういう味がするのかなぁ」と聞かれたので、
「どういう味がするのか、知りたいなら自分で食べてみるのが一番いいのよ」って。
私が手本を見せて、食べてみせました。
それで「食べてみれば」って言ったら食べてましたね。
A:
実体験から学べという教えだったわけですよ。
R:
そうです。
子供の頃って、言われたことを素直に受け止めるところも多いじゃないですか。
受け止めない子供もいるかもしれないけども、
受け止められる子に育って欲しいなというのはありました。
その上で、私が何を言ったとしても、本人の恥ずかしい気持ちとか、
それはできないっていう判断がひとつの答えなわけだから。
「何かを与えても答えを出すのは自分自身」
そういう風に育てたかもしれないですね。
A:
徹底してたなと思います。
着るもの身に付けるものに関してもそう。
ランドセルを買ってもらえなかったから。普段の服装に合わないからって。
ランドセルを買ってもらえないとか、通学に革靴とか。
KENZOのワンピースもすごく印象に残ってる、嫌だったんだよ(笑)
ティアードのロングのワンピースを着てる子なんて、一人だけなんだもん。
今思えば、それくらいインパクトに残る服だったっていうことなんだけど。
今は、私も娘に対して同じことしてると思うんだけど。
彼女は受け入れているというか、ファッションを自由に楽しんでいそう。
だから自分の着るものに対して、娘と比べると興味がなかったなと思う。
当時は反面教師でみんなと同じものを着て、みんなと同じものが欲しかったから。
—数年前までは一緒の会社で働いていたお二人ですが、一緒に働くのはどうでしたか。
A:
結婚してから入社したので苗字も違ったから、私たちが親子だと知らない取引先も多かったんです。
最近まで知らなくて「えっそうなんですか」って驚かれたことも。
—入社してから呼び方も変えたとか。以前はママだったのに、以降は理香さんって。
A:
そう。そうしたら兄弟全員、理香さんって呼ぶように(笑)
他の社員さんからしたら、社長でデザイナーの言うことはやっぱり絶対じゃないですか。
でも親子だから、普通じゃ言えないことまで言えてしまうっていうのが良くも悪くもありました。
R:
難しいよね。
A:
もともと子供服には興味がなかったし、「結局、親の会社に入るんだ」って思われるのも嫌だったし、
絶対に母の会社には入らないって大学生の時には決めてたんです。
だからGAPでアルバイトをはじめて、トミーヒルフィガーに就職してと、
同じアパレルでも別の畑を来たところがあったのです。が、
高校生の頃から展示会なんかの仕事を手伝いを始めていて、就職してからもサポートしたりしていたんですが、
ある時自然に「母の役に立てたらいいな」っていう気持ちになって。
結果、自然な形で入社することになったんですよね。
ちょうど世の中がネットに移行する頃でした。
R:
ネットの担当を全部やってもらったんだよね。
A:
それまでスーパーアナログだった会社で、一から自社ECを立ち上げました。
他と比べてもかなり早かったと思う。
特にスキルがあったわけではないんですが、デジタル元々得意というか、割と好きなんですよね。
自社ECを立ち上げて、ZOZOのブームが来て。
だからすごく売れたんです。
—ショッピングモールブームの前ですよね?
A:
そうです。
入社直後は通販誌の売り上げがすごくよかったんだけど、年々紙の売り上げが落ちていくのを感じて、
ECに切り替えた方がいいんじゃないかなって思ったんだと思う。
通販のオーダーが紙じゃなくてインターネット経由になってきているという話を聞いていて、それで自社ECだ!と。
あとは毎シーズン、ちゃんとルックを撮り始めたのも私が入ってからだよね。
R:
なかなか大変だったわよね。
A:
私が入社する前は、物作りに特化した会社だったので、じゃあ私は世の中に出すことに注力しようと。
私に服を作る特殊技能がなかったからかもしれないけれど。
でもやっぱり、商品自体に興味がなかったり、いいと思ってなかったら10年も一緒にやれなかったと思う。
—デザイナーとしてのお母様も好き?
A:
はい。
仕事に関してはかなり厳しいと思いますけどね。
企画やってる時に話しかけると、睨まれて無視されたりしたし(笑)
最近は随分丸くなりましたけど。
やっと断言できるようになったけど、私、好きじゃないものは売れないし、PRもできないから、
これだけ可愛いものをみんなにもっと知ってもらいたい!売りたい!
って気持ちが10年続いたから、ずっと一緒に一緒にやれたんだと思います。
—独立して自分の会社をはじめた娘さんをみて、いかがですか。
R:
いいと思います。
別にしたほうがいいとアドバイスもしました。
A:
他の会社の人には、「経理上でいったら、会社別にしなくても事業分ければいいじゃん」って言われて。
あーそうなのかと思ったけど、一年やってみて本当に分けて良かったなって思ってます。
親子といえど別の会社なので、請求書発行しあって、銀行でやりとりしているから、今は取引先なんです。
だからそこはきちんと線引きはできるというか。
一緒にやっていると、お金のことも含めてなあなあになっちゃってたと思うので、絶対に。
R:
リスクも伴うけど、面白さも同じようにあるのよね、自分でやるってね。
A:
そうそう。
「誰にも相談せずに、全部自分で決められる」
っていうのが会社にしてみて一番良かったこと、リスクもあるけど面白いところだった。
喧嘩がグッと減りました(笑)
— 最後に、PATACHOUを通して・・・
そして、今のママ世代に伝えたいメッセージはありますか?
R:
もう随分以前の話ですが、ある人から言われた、PATACHOUを褒めてくださった
2つのコトバが、とても印象に残っています。
ひとつは、初めてのとても小さなコレクションでのこと。
「PATACHOUの服は人に媚びていないところがすごくいいね」
もうひとつは
「PATACHOUの服って着せてみると、ホント賢そうに見えるから不思議」
でした。
そんな心の支えになるコトバに救われながら、
初心を忘れることなく、また、時代がどんなに変わっても
私なりの”今”の服を作り続けていきたいと思います。
「今のママたちへ」
子供を心から信じること。
自分とは違う存在なのだと自覚すること。
コトバが勝手に一人歩きする今、不安になりすぎないこと。
Instagram @patachou_japan
取材・文
松本 愛
編集
石川 明日香
今回PATACHOUにフィーチャーしようと思ったのは、母親がやっているブランドだから。
といえばそうかもしれません。
でも、私はかなりはっきりしている性格なので、好きじゃないもの、心からいいと思っていない物は、
いくら仕事とはいえ、売れないし勧められない。
そんな私が、シーズンごとに新たなアイテムを作り出す母のコレクションに、
毎回いい意味で期待を裏切られるというか
「この人には一生敵わないな」
と思わせられる、期待値以上の物を作り出していたので、だから今までずっと側で応援してきました。
ゼロから生み出すことのできる、彼女のクリエイションは、私には真似できないし、素晴らしいと思う。
PATACHOUが再度スタートラインに立った今、私にできることは
PATACHOUの魅力と、母の思いをできるだけ多くの人に届けることだと思ったので、
今回TIAMで対談させていただくことにしました。
ただ、私が話して自分で書くと、なんだかいやらしいし、話しながら意見がぶつかって喧嘩になりそうなので(笑)
プロのライターに入っていただくことに。
この業界で、30年近くも一人のデザイナーが手がけているブランドは、世界中を見渡しても見つけることの方が難しいと思う。
不況と言われる子供服市場で、それでも尚続けていきたいと思う強い思いを、私はこれからも応援します。
TIAM
石川 明日香
石川 理香
1950年 東京生まれ
文化服装学院を卒業後、レディース、メンズアパレルのテキスタイルデザイナーを経て独立。
1985年にI design studio co,LTD を設立。
子供用ランジェリーブランド「Dans le reve (ダン・ル・レーヴ) 」をスタートさせる。
1991年から28年間ベビー子供服ブランド「PATACHOU (パタシュー) 」のデザイナーとして活動。
プライベートでは、4人の子供と6人の孫を持つ一面も。
石川 明日香
1982年 東京生まれ
レディースアパレルの販売、プレスを経て2004年から現在に至るまで
PATACHOUのプレス・ウェブ、EC業務全般を担う。
フリーランスのPR、ディストリビューター業務の傍ら
2018年10月にTIAMを立ち上げる。